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◆台湾研修3日目その1◆
日本のガイドにもあまり載っていない芝山(しざん)公園を視察
下関条約(1895年5月17日)により台湾が割譲され日本の統治が始まると、まず日本総督府は、同年6月原始的な台湾を近代化させ、豊かな国つくりを進めるためにまず教育を進めることで識字率を上げ(日本は統治直後台湾人の識字率0.5%だったのを95%まで引き上げました)、就職出来る様にした。吉田松陰の甥を含む6人の教師がまず台北北部の芝山巌恵済宮の一部を借りて「芝山巌学堂」という小学校を設立しました。しかし、翌年1月1日お正月の挨拶周りに行く途中約100人の抗日ゲリラ(日本側で言う匪賊)に6人の教師と事務員1人は、首を斬られ惨殺されました。これを芝山巌事件といいます。

その後伊藤博文によって「学務官僚遭難之碑」(1896年7月1日建立)が建てられましたが、蒋介石率いる中国国民党の党員が、赤字でいたずらをしたり、碑を倒したりし椅子に使っていたりと酷い有様を、陳水扁総統が「今の台湾は日本統治時代の教育があったから」と台湾の発展の基礎を作った6人の教師と1人の事務員を称える碑を元にもどし、今では台湾人の多くが通う寺院の隣に建てられています。

六士先生
楫取道明 (山口県、38歳、吉田松陰の甥)
関口長太郎 (愛知県、37歳)
中島長吉 (群馬県、25歳)
桂金太郎 (東京都、27歳、東京府士族)
井原順之助 (山口県、23歳)
平井数馬 (熊本県、17歳)


私は、ある台湾大学教授の話が、大変印象深かったです

台湾教授
「植民地というが、欧米の愚民化政策とはちがい、日本は、教育を施してくれた。そんなことをしたら、植民地の人間に知恵がつき、もしかしたら反乱を起こすことになるかもしれないのに、繁栄を喜び、私達を信じて、教育をしてくれた。私は日本が統治をしてくれなかったら、今の台湾は相当遅れをとっていただろうし、私も、畑いじりをしていただけのままで、大学教授にはなっていなかっただろう。」

日本に帰り、多くの人にこの事実を伝えたいです。
地方から、日本を変える。私も頑張りたいと思います。

~狛江の新しい力!~
狛江市議会議員
無所属
辻村ともこ

 

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◆台湾研修3日目その2◆
亜東関係協会秘書長羅坤燦主催昼食会

東亜関係協会とは?
亜東関係協会(あとうかんけいきょうかい、East Asia Relations Commission)とは、中華民国(台湾)の対日窓口機関であり、台北駐日経済文化代表処の台北本部である。日本との間に国交がないため形式的には非政府機関であるが、実質的には中華民国外交部の所管。日本側のカウンターパートは公益財団法人交流協会。

羅秘書長は冒頭の挨拶で「日本と台湾の絆は、他国に比べ物にならない位強く、東日本大震災の時に民間人から200億円もの義捐金が集まった事でも、国民の気持ちを分かって頂けたと思う。しかし、残念なのは、今の日本は台湾を捨てた。台湾と国交が断絶している状況を悲しく思う。台湾はいつでも日本がアジアのリーダーであって欲しいと思っている。」
と言われました。当団長松田会長も「私達も今回の研修で、日本と台湾の繋がりと50年間の軌跡を学んだ。今後も日台友好の為に地方から日本を支え、日本人としてしっかりと国を守り尽力してゆきたい。」との挨拶を返し本音の話し合いがなされました。

◆辻村本音の調査・話合い◆
私は、同世代の台湾人40才同協会総務部長と「反日教育」と「30~40代の台湾人の日本に対する考え」について話し合いました。
ご存知のように、「台湾人は世界の中で一番日本人が好き」というアンケートは複数のデータで示されています。しかし、反日教育を受けた私と同世代の台湾人がどのように思っているか、また突然出された下記の馬英九の強引な反日教育・台湾独立阻止施策について聞いてみました。

(辻村質問)
反日教育・台湾独立阻止施策が出て、大変驚き心配している。実際どのように思っているのか。

(台湾人総務部長回答)
自分も反日教育を受けてきたが、日本人と会い、知ることで、嘘だと分かった。また家庭教育が大事だと思う。自分は、祖父母から、一度も学校で教わったような日本人の蛮行など聞いたことが無かった。どんなに偏向教育をしようとしても、台湾国民は日本の素晴らしさを知っているしそういった正しい判断を出来る民族であり、反日プロパガンダなどに染まらないと思う。
中国は経済大国として無視できず、日本にとっても大事なことも分かる。バランスを取らなければならない事もわかるが、それにしても、もう少し台湾としっかりと付き合って欲しい。この協会も40年以上前からあるあが、形が変わっていない。(国として見ておらず総領事ではなく、協会として駐在している)このようなことも、見直してもらうだけの気概を持って欲しいと思う。それが残念だ。

(辻村質問)
私は、中国・韓国の行っている反日プロパガンダを見て、教育は人の心を変えてしまうと知った。
特に中国の行う反日プロパガンダはアジア中に広がり、タイでは、「おしん」のような朝の人情ドラマに出ていた「紳士的な日本軍兵士」は、最近リメイクされ、「凶暴で礼儀知らずな日本軍兵士」に書き換えられ毎日今でも放送されているし、(それを大手日本化粧品企業がスポンサーしているというから始末が悪い!)さらに、韓国の幼少期に強烈な事実無根な戦争写真等を見せ、博物館で声を入れた酷い展示をしたものを見た小学生等は、そのまま信じてしまっている。安重根博物館前の地下鉄壁面に飾る児童絵画の募集で集まった日本国旗にお葬式の絵を合わせたものなど、信じがたいものがあった。悲しかった。このようなことは、台湾では避けなければならないと思う。
もし、事実が日本の善行に起因するなら、是非、反日教育という中国の独裁的な思想から出た一党独裁の覇権主義を推進する為の捏造反日プロパガンダを止めてもらいたいと思う。よろしくお願いしたい。

(台湾人総務部長)
台湾人は大丈夫です。やりますとは立場上返答できませんが、学生運動を見ても分かるように正常になるよう台湾国民も動き始めました。今後もお互い頑張りましょう。

―辻村感想―
大変紳士的で、温厚な同世代の総務部長で、日本と台湾の大事な視点をきちんとわかっていらっしゃったと思います。教育の事を対応するとは立場上言えない事は分かっていましたが、台湾国民の本音、実際の感情が分かり安心もしました。今後も連絡を常に取り合い、有事の時も連携を取れるよう絆を作れたと考えています。総務部長と貴重な意見交換が出来たことは大変ありがたい機会でした。

しかし、戦争や統治時代を知らない若い世代は、タイや韓国の事例の通り洗脳されてしまい、それが歴史事実となる危険性もある。現に、アメリカのバージニア州での慰安婦像設置に観る一連の動きや、「日本海」という国際的に認められた呼称を、韓国系アメリカ人議員の発案で「東海」(韓国から見て東側の海の意味)という名前を教科書に併記するようにバージニア州政府が可決するなど、その動きは、日本人が思っている以上に広がりを見せています。

私は、今回の研修に参加させて頂き、地方議員として「地方から日本を変える」という、日本の政治家の矜持、責任の原点を学ぶことが出来た事に心から感謝しています。

日本人として、自らの国を大事に思う歴史教育を。
真実の側面は光と影がありますが、あまりにも影ばかりを強調し、それが利用されている現在、日本人が世界平和と繁栄の為に行った徳ある行動を、日本中に広めたい。

心躍る素晴らしいご先祖様の行動を学ぶことが出来た事は、私の財産となりました。

ありがとうございました。


◆平成26年2月10日馬英九教育部からの突然の反日教育・台湾独立阻止の指令について◆

許世楷先生の今年WILL6月号の記事に、今年2月10日台湾において。中国国民党馬英九総統が、APECでの習近平国家主席との会談を求める為に、お土産として教育について①反日②台湾化の否定教育を行う指針をまとめた事が報道され、既に教科書書き換えについて審議可決したと報道されました。例としては、

◆馬英九によって進められる反日教育と教科書書き換えの事例◆
1)教科書内で「日本統治時代」としていた記述を、「日本植民地支配時代」と書き換える
2)習近平の掲げる大中華主義を強調し「中華民族の偉大な復興という中国の夢を共に叶える」をスローガンに据える
3)「台湾化・台湾独立」の否定。台湾語を使用したり、台湾の文化を見直す動きが国民の間で盛んに行われてきていたが、それを無くし「中国化・中国吸収」を推し進めようとしている。
4)反日教育。反日の視点で書かれた「国民党史」を元に、残虐な日本の侵略(残虐ではなく、救国という面を当時を知る国民は良くわかっているので誰も相手にしないが)から国を守るということを台湾国民に教え込まないといけないと考えている。


~狛江の新しい力!~
狛江市議会議員
無所属
辻村ともこ拝


◆台湾研修3日目その3◆
二二八事件記念碑視察
中国大陸から入ってきた蒋介石率いる中国国民党の外省人(中国人)が、内省人(台湾人)に対して横暴をおこなったのはこの時から始まったのです。二度と繰り返さないで欲しいと思いながら、今回の自由民主主義を奪う「サービス貿易協定」の強行採決にみえる同じような対応は、日本も注視してゆかなければならないと感じました。

<二二八事件とは>
背景
1945年に日本が敗戦した後の台湾には、連合国軍の委託を受けて日本軍の武装解除を行うために大陸から蒋介石率いる中国国民党政府の官僚や軍人が進駐し行政を引き継いだ。

当初、少なからぬ本省人が台湾の「祖国復帰」を喜び、中国大陸から来た国民党政府の官僚や軍人らを港で歓迎したが、やがて彼らの腐敗の凄まじさに驚き、失望した。大陸から来た軍人・官僚は国共内戦の影響で(精鋭と呼べる人材は大陸の前線に送られており)質が悪く、強姦・強盗・殺人を犯す者も多かったが、犯人が罰せられぬことがしばしばあり、もし罰せられる場合でも、犯人の省籍をマスコミ等で報じることは厳しく禁じられた。また、台湾の資材が中国人官僚らによって接収・横領され、上海の国際市場で競売にかけられるに到り、台湾の物価は高騰、インフレによって企業の倒産が相次ぎ、失業も深刻化した。

不正の少なかった日本の統治を体験した台湾人にとって、治安の悪化や役人の著しい腐敗は到底受け入れがたいものであった。人々の不満は、いやが上にも高まっていった。当時の台湾人たちは、「犬去りて、豚来たる(中国語:狗去豬來)」(意味:犬〔日本人〕はうるさくても役に立つが、豚〔国民党〕はただ貪り食うのみ)と揶揄した。

経緯
1947年2月27日、台北市で闇菸草を販売していた女性(林江邁、40歳、2人の子持ち寡婦)を、中華民国の官憲(台湾専売局台北支局密売取締員6名と警察官4名)が摘発した。女性は土下座して許しを懇願したが、取締官は女性を銃剣の柄で殴打し、商品および所持金を没収したのである。

戦後の台湾では、日本統治時代の専売制度を引き継ぎ酒・菸草・砂糖・塩等は全て中華民国によって専売となっていた。しかし、大陸ではタバコは自由販売が許されていたため、多くの台湾人がこの措置を差別的と考え、不満を持っていた。タバコ売りの女性に同情して、多くの台湾人が集まった。すると取締官は今度は民衆に発砲、まったく無関係な台湾人(陳文渓)を射殺し、逃亡した。

この事件をきっかけとし、中華民国への怒りが遂に爆発した。翌28日には抗議のデモ隊が市庁舎へ大挙して押しかけた。しかし、中華民国側は強硬姿勢を崩さず、憲兵隊は市庁舎の屋上に機関銃を据えて、非武装のデモ隊へ向けて無差別に掃射を行う。多くの市民が殺害され、傷を負った。この後、国府軍は台北以外の各地でも台湾人への無差別発砲や処刑を行っている。

本省人側は国民政府に占拠されている諸施設へ大規模な抗議行動を展開。日本語や台湾語で話しかけ、答えられない者を外省人と認めると暴行するなどの反抗手段を行った。台湾住民の中には日本語が話せない部族もいたが、「君が代」は国歌として全ての台湾人が歌えたため、本省人たちは全台湾人共通の合言葉として「君が代」を歌い、歌えない者(外省人)を排除しつつ行進した。また、本省人側はラジオ放送局を占拠。軍艦マーチと共に日本語で「台湾人よ立ち上がれ!」と呼びかけた。

劣勢を悟った中華民国の長官府は、一時本省人側に対して対話の姿勢を示した。しかし、在台湾行政長官兼警備総司令陳儀は、大陸の国民党政府に密かに援軍を要請した。彼は「政治的な野望を持っている台湾人が大台湾主義を唱え、台湾人による台湾自治を訴えている」「台湾人が反乱を起こした」「組織的な反乱」「独立を企てた反逆行為」「奸黨亂徒に対し、武力をもって殲滅すべし」との電報を蒋介石に送っている。

蒋介石は陳儀の書簡の内容を鵜呑みにし、翌月、第21師団と憲兵隊を大陸から援軍として派遣した。これと連動して、陳儀の部隊も一斉に反撃を開始した。裁判官・医師・役人をはじめ日本統治時代に高等教育を受けたエリート層が次々と逮捕・投獄・拷問され、その多くは殺害された。また、国民党軍の一部は一般市民にも無差別的な発砲を行っている。基隆では街頭にて検問所を設け、市民に対し、北京語を上手く話せない本省人を全て逮捕し、針金を本省人の手に刺し込んで縛って束ね、「粽(チマキ)」と称し、トラックに載せ、そのまま基隆港に投げ込んだという。台湾籍の旧日本軍人や学生の一部は、旧日本軍の軍服や装備を身に付けて、国府軍部隊を迎え撃ち、善戦した(「独立自衛隊」、「学生隊」等)。しかし、最後はこれらも制圧され、台湾全土が国府軍の支配下に収まるのである。

この事件によって、約28,000人もの本省人が殺害・処刑され、彼らの財産や研究成果の多くが接収されたと言われている。実際の被害者の数はさらに多いとの説が今尚根強く存在しており、正確な犠牲者数を確定しようとする試みは、いまも政府・民間双方の間で行なわれている。

事件の際発令された戒厳令は40年後の1987年まで継続し、白色テロと呼ばれる恐怖政治によって、多くの台湾人が投獄、処刑されてきた。また、内外の批判によって国民党政府が漸く戒厳令を解除した後も、国家安全法によって言論の自由が制限されていた。今日の台湾に近い形の「民主化」が実現するのは、李登輝総統が1992年に刑法を改正し、言論の自由が認められてからのことである。(Wikipedia参照)

~狛江の新しい力!~
狛江市議会議員
無所属
辻村ともこ拝

◆台湾研修3日目その4◆
李登輝閣下表敬訪問
今回の研修において、一番の目的とも言える李登輝閣下の勉強会ですが、当初時間を短くということで、お話を頂いていたのですが、なんとノンストップで2時間45分もの講義をしてくださいました。
主な内容は、下記の通りです。

・指導者のリーダーシップ
国際政治の主体は国家である。そして現実社会と国際関係お中に置いて、平和を維持し、国益を増進できることを成し得るはひとえに指導者のリーダーシップにかかっており、この20年間の日本も台湾もこの問題で苦労してきたと思う。国民を安全と幸福に導いて平和を享受できるのはひとえに指導者の素質と能力にかかっている。民主国家の指導者という限定で言うならば、指導者たる者は、素質と能力に加えて「誠意をもって民意を汲む」「個々人の幸福の為に長期的計画を策定し、絶えず短期・長期におけるバランサーの役目を果たし得る」という条件を持たなければならない。

・これまで日本の指導者は隣国の中国や韓国、あるいはアメリカからの批判を恐れて、円安政策に踏み切れないでいた。日銀も「事なかれ主義」に陥っていたのである。安倍政権の10年間で200兆円と言われる国土強靭化計画も評価できる。

・未来図をもったリーダーシップを
 指導者は一般の人よりも一層自分を律し、より高い理想や目標を自分に求める必要がある。言うならば組織の未来をいかに発展させるかという目標と未来図を描かなければならないのだ。
 未来図とは、組織の発展する方向であり、未来の理想であるが、未来図というと抽象的に過ぎるかもしれない。はっきり言えば「夢を描くこと」である。
夢を描くことは本来、楽しことであろう。指導者に必要なのは「夢を描かせること」である。決して組織内の事情やその他の原因によって、夢見るチャンスを奪ってはならない。さもなくば、最も貴重なエネルギーを奪ってしまう事になるからだ。

・「則天去私」つまり自分を捨てて、利他に生きる事だ。政治家としての基本的な考えではないか。
(意味)小さな私にとらわれず、身を天地自然にゆだねて生きて行くこと。「則天」は天地自然の法則や普遍的な妥当性に従うこと。「去私」は私心を捨て去ること。
夏目漱石が晩年に理想とした境地を表した言葉である。

・台湾人が好んで用いるの言葉に「日本精神(リップンチェンシン)」というものがある。これは日本統治時代に台湾人が学び、日本の敗戦によって大陸から来た中国人が持ち合わせていない精神として、台湾人が自らの誇りとしたものである。「勇気」「誠実」「勤勉」「奉仕」「自己犠牲」「責任感」「遵法」「清潔」といった精神を表す。

・「KANO」という映画を見て、私はあらためて妻と「日本の教育は素晴らしかったね」と語り合った。
「KANO」は台湾で大ヒットしているが、「日本統治時代を美化しすぎている」との批判も起きた。しかし、台湾が中国に呑み込まれようとしている現在、台湾人が顧みるべきは、この映画で李が枯れているような「日本精神」である。この「日本精神」に触れる事を通じて、台湾人は、中華思想の呪縛からあらためて脱し、公と私を区別する武士道的な倫理に基づいた民主社会を確立しなければならない。

・私が在任当時、あらゆるものが近視眼的になり、理想的な民主主義社会とはほど遠い有様だった。台湾を民主化させ、自由で安定した社会を築き上げるために、私にはどうしても12年間という総統在任の年月が必要だったのである。

・今の日本は、毅然たる態度が無い。もっと自信を持って、アジアのリーダーであって欲しい。しっかり励むように。

(2時間45分の講義一部抜粋)

李登輝閣下の94歳を超えるお体で、一回も水も飲まず、ノンストップで話し続けられるお姿は、体力に自信のある私でさえその迫力に圧倒されました。
お話の随所に、今後の日本の政治家として必要なエッセンスが凝縮されており、「日本精神」を我われ日本人が学びなおした一日でした。
李登輝閣下本当にありがとうございました。必ず次世代へ祖父や李登輝閣下が残して下さったその精神を残してゆきたいと思います。
末永いご長寿を心より祈念申し上げます。
頑張ります!

~狛江の新しい力!~
狛江市議会議員
無所属
辻村ともこ拝


◆台湾歴史年表◆
先史時代
• 230年:三国時代の呉の孫権が将軍衛温を派遣して探索を行った。
• 607年:隋の将軍朱寛による台湾探索。
• 1281年:元朝が澎湖諸島を領有。
• 1593年:豊臣秀吉、台湾に入貢を促す。
• 1608年:有馬晴信が台湾へ軍勢を派遣。
• 1616年:長崎代官・村山等安が台湾へ軍勢を派遣。
オランダ植民統治時代
• 1624年:オランダの東インド会社が、台湾島の大員(現在の台南市周辺)を中心とした地域を制圧。
• 1626年:スペイン勢力が台湾島北部の現基隆市付近に進出して要塞を築く。
• 1628年:タイオワン事件。
• 1642年:オランダ東インド会社がスペイン勢力を台湾から追放する。
• 1661年:鄭成功の攻撃を受け、翌年に台湾から完全撤退する(ゼーランディア城包囲戦)。
鄭氏政権時代
• 1662年:鄭成功がオランダ東インド会社を台湾から駆逐する事に成功する。台湾を東都と改称。
• 1683年:鄭氏政権が清朝に降伏し滅亡。
清朝統治時代
• 1683年:清朝が台湾を制圧して鄭氏政権を滅ぼすことに成功。後に台湾を福建省に編入する。
• 1684年:福建省台湾府となる。
• 1732年:大肚王国が清軍の攻撃を受けて滅びる(大甲西社抗清事件)。
• 1787年:林爽文の率いる天地会が清朝への反乱を起すが、福康安の率いる清軍に鎮圧される。
• 1858年:天津条約によって台南・安平(アンピン)港や基隆港が欧州列強に開港される。
• 1871年:牡丹社事件(琉球漂流民の殺害)。
• 1874年:日本による台湾出兵(牡丹社事件)が起きる。
• 1875年:獅頭社事件。
• 1884年:清仏戦争が発生して台湾もフランス軍に攻撃される。
• 1885年:福建省から独立して台湾省を新しく設置される。
• 1887年:基隆 - 台北間に鉄道を敷設する。
• 1888年:郵政総局が完成する。
• 1895年:下関条約(馬關條約)に基づいて台湾が清朝から日本に割譲され、台湾省が廃止される。台湾総督府設置(初代総督に樺山資紀)。
日本統治時代(50年間)
• 1895年:台湾民主国の建国・崩壊。
• 1896年:原敬が台湾事務局に「台湾問題二案」提出。この頃、「台湾売却論」が盛んに。
• 1897年:台湾住民の国籍選択最終期限。台湾高等法院長高野孟矩が罷免。
• 1898年:児玉源太郎総督と後藤新平民政局長(後に民政長官)が着任。土地調査事業が始まる(~1905年)。「匪徒刑罰令」施行。
• 1899年:台湾銀行の営業開始。
• 1905年:土地調査事業終了。本年度より日本国政府の補助金辞退。
• 1908年:台湾縦貫鉄道の全通。
• 1914年:台湾同化会結成(翌年解散)。
• 1915年:西来庵事件(タパニー事件)の勃発。
• 1919年:初代文官総督の田健治郎が着任。台湾電力株式会社の設立。
• 1920年:在日台湾留学生を中心に、新民会(林献堂が会長)結成。
• 1921年:帝国議会に第1回の「台湾議会設置請願書」提出。台湾文化協会結成。
• 1922年:治安警察法が台湾にも施行。
• 1923年:治安警察法違反事件(台湾議会設置請願運動の取締)。
• 1927年:台湾文化協会が分裂、台湾民衆党の結成。
• 1928年:台北帝国大学の設立。
• 1930年:嘉南大圳竣工。霧社事件。
• 1934年:台湾議会設置請願運動の中止。
• 1935年:新竹・台中地震。
• 1936年:台湾拓殖株式会社の設立。
• 1940年:改姓名の開始。
• 1941年:皇民奉公会の発足(皇民化推進)。
• 1943年:6年制義務教育実施。
• 1944年:日本軍による徴兵制度が発足。台湾人日本兵が兵役に服務する。これと同時に衆議院議員選挙法が改正されて台湾住民にも衆議院選挙の選挙権が認められた。
• 1945年:大日本帝国が連合国に降伏。第二次世界大戦(当時の台湾では「大東亜戦争」)が終結。
中華民国統治時代
南京国民政府
• 1945年:中華民国(南京国民政府)・国民政府軍が台湾に上陸。台湾を統治する機関・台湾行政公所を設置。
• 1947年:二・二八事件が勃発。以降、国民政府による白色テロが頻発する。台湾行政公所を台湾省政府に改組。
• 1949年:蒋介石が国共内戦で崩壊状態にある国民政府(国府)を台北市へ移転(遷都)し、実行統治区域内で戒厳令を実施。
台湾国民政府
• 1950年:蒋介石が総統職に就任。中華民国・台湾国民政府の活動が本格化。アメリカが第七艦隊を台湾海峡に派遣。
• 1951年:米華共同防衛相互援助協定調印。
• 1952年:日本との平和条約(日華平和条約)調印。中国青年反共救国団の設立、蒋経国が主任。日本語と台湾語の教学を厳禁。
• 1954年:アメリカとの相互防衛条約調印。
• 1955年:台湾国民政府が浙江省・大陳列島を喪失。これにより、今日の台湾地域(広義の台湾)が形成される。
• 1958年:金門砲戦勃発。台湾海峡緊迫。
• 1964年:吉田茂元首相が台湾訪問。
• 1967年:国家安全会議と国家安全局が発足。
• 1971年:国際連合総会にて、アルバニア提案の「国府追放、北京招請」案が可決され、台湾国民政府が「中国」の代表権を喪失。同時に国連から脱退。
• 1972年:蒋経国、行政院長に就任。日本と中華人民共和国の国交樹立により日華平和条約が終了。台湾国民政府が日本との国交を断絶。
• 1973年:「十大建設」開始。
• 1975年:蒋介石死亡。厳家淦副総統が総統に、蒋経国が国民党主席に就任。
• 1978年:蒋経国が総統に就任。
• 1979年:米中国交樹立。アメリカ合衆国が台湾国民政府と国交を断絶。美麗島事件が勃発。
• 1981年:鄧小平が「一国家二制度」に基づく中国と台湾の統一を提案。
• 1986年:民主進歩党の結成。
• 1987年:38年続いていた戒厳令を解除。
• 1988年:蒋経国死去。李登輝副総統が本省人として初めて総統に就任。
• 1989年:李登輝総統、「現実外交(柔軟外交)」を宣言。戒厳令解除後初めての統一選挙で民主進歩党が躍進。
• 1990年:民主進歩党が「台湾の主権独立」決議案採択。総統府に国家統一委員会が発足。
• 1991年:中国共産党を反乱団体と定義していた憲法の付属条項を廃止。
• 1993年:連戦が行政院長になり、李登輝が国民党政権の「党」「政」「軍」「特」を全面掌握。シンガポールで台湾と中国の窓口交流機関代表が初会談。
• 1995年:中国江沢民主席が台湾政策8項目を提案、台湾李登輝が中国に対する6項目の逆提案、その後李登輝が訪米し、台湾・中国間が緊迫。
総統民選期
• 1996年:国民の直接選挙による総統選が実施され、李登輝が当選。国民党の一党独裁体制が消滅。
• 1998年:上海で台湾と中国の窓口交流機関代表が会談。
• 1999年:李登輝総統、中国と台湾を「特殊な国と国の関係」と定義。921大地震、死者2000人以上。
• 2000年:中国が台湾白書を発表。統一交渉の無期限の拒絶は武力行使の対象になると警告。中華民国総統に民主進歩党の陳水扁が選出、中国国民党が初めて野党となる。
• 2002年:WTO加盟。陳水扁総統が「一辺一国」発言。のち軌道修正の発言。
• 2003年:李登輝前総統、台湾独立派「台湾正名運動連盟」の会合で「“台湾”を国名に」と発言。陳水扁総統が民進党結党17周年記念式典で「2006年に新憲法制定」を掲げる。
• 2004年:二二八事件57周年記念行事で李登輝前総統の呼びかけで独立派が中国のミサイル配備に「人間の鎖」を作って抗議。陳水扁が総統選前日に銃撃され負傷するものの再選。チャドとの共同声明の際に「中華民国(台湾)」という表記を初めて使用。
• 2005年:連戦国民党主席が中華人民共和国を訪問。胡錦濤共産党総書記と1945年以来の国共首脳会談を行なう。
• 2006年:陳水扁総統、国際社会に対して「台湾」名義での国連加盟を強調(2007年8月申請、却下)
• 2007年:呉伯雄が国民党主席に就任。
• 2008年:馬英九が総統に就任し、国民党が政権を奪還。

 

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◆台湾2日目その1◆
日本の政治家として初めて、許世楷元駐日大使を囲んで台湾学生ひまわり学生運動のリーダーの皆さん達と台湾大学で対話集会を開きました。学生は「私達は、台湾人です。我われの領土と自由民主主義が支那(中国)に奪われないよう声を上げたのです。デモは数日で50万人にもなりました。(NHKは政府側につく警察発表の11万人と偏向報道!)2000人の学生が立法院を占拠した理由は、夜10時以降緊急招集された会議で、人数の少ない中、明らかに反対しそうな議員が残っていた場合も、その議員がトイレに入っている所を狙ってマイクを持っていき、「はい、これで説明しましたよ」と言って審議時間たった30秒で、国民の大事な貿易協定を決めようと進めた経緯が明らかになり(酷い!)、私達は自由民主主義から、社会主義へ変わってしまう恐怖と怒りを感じ、ブラックボックス化した政治が、公明正大に行われることが約束されるまで不正な手続きが行われないよう立法院を占拠したんです!」
許先生によると「今回の学生運動は、サービス貿易協定の逐条審議を認めないことに対する民主主義の擁護、大量移民への恐れ、生活への脅威、中国による台湾併合への反対が基礎にある。」とのことでした。

NPO団体代表者は「今回の事件で、私達は、多くの国民から、「中国に国を売る馬英九総統に文句を言いたかったけれど、政治にどのように携わればいいかわからなかった。学生が行動を起してくれて本当に嬉しい。」「良くやった!学生たちを応援する為に物資の支援をしたい。」こう言う多くの台湾国民からの応援の声を貰い、現地でうどんを炊き出ししてくれたり、ビジネスマンなどは、インターネットで物資をおくってくれるという新しい支援の輪も広がった。」

現在は、学生とNPOが中心となり、憲法改正以外、国を守る事は出来ないとし、現行憲法の不備である1、主権2、罷免権3、公民投票の3つについて、政府へ改憲を要求していると言います。

詳細は、まだまだありますが、この学生たちの純粋な国を奪われたくないという想いは、馬英九の父の骨壺に書いてある「独立を変化させ、徐々に統一に持っていく」という信念を覆す、大きな国民の意志として動き出したと感じました。

自国を想い、守るは国民なんだと、改めて、学生から学びました。

日本にとって、台湾は大事な友人です。国防上も台湾は重要であります。
皆さんも関心を持ち、日本だったら・・・と考えてみて頂きたいと思います。
沖縄、尖閣諸島への中国の手法は、チベット、ウイグル、香港、台湾と共通点があります。
明日は我が身・・・という意識も必要であるかと思います。

台湾 加油!!

責任世代の交流として、台湾学生としっかりと今後も連携してゆくことを約束しました。

(写真)
台湾学生【向日葵(太陽花)学生】の皆さんと、頑張ろう!とガッツポーズ。
ブラックボックス化した政府を倒す「ブラックサンダー」をお土産に持っていきました。喜んでくれました。

(写真)
許世楷元駐日大使と共に。WILL2014年6月号に「台湾3度目の国家消滅の危機」という寄稿が掲載されています。大変詳しく台湾事情が書かれています。是非お読みください。許先生ありがとうございました!私も未来の日本の為に頑張ります!

◆台湾研修2日目その2◆
亜東関係協会を訪問しました。
亜東関係協会では李嘉進会長他7名と会談し、会長には震災での支援とオリンピックで「東京」に一票頂いた事への感謝を伝えました。そして、私は2月10日台湾で反日教育と教科書の書き換えが行われたことに対し、恒久的世界平和を構築する上で、大変遺憾なことと進言し、協会でも注視して欲しい旨伝えました。私は教育は根拠のある事実と未来を見るべきであると考えると伝えました。若い職員さんより小さな拍手をもらいました。きっと、心は通じてると感じました。頑張りましょう!若者世代で!

— 場所: 台北市

◆台湾研2日目修その3◆
台湾迎賓館に行きました。ここは、1952年4月28日に日本国と中華民国の両政府が「日本国と中華民国との間の平和条約」(通称日華条約)を締結したところです。バロック様式の素晴らしい建物は、明治時代の総力を挙げた技術が結集され皇室の権威の象徴とされたと言われています。北白川宮能久親王(きたしらかわのみや よしひさ しんのう、1847年4月1日(弘化4年2月16日) - 1895年(明治28年)10月28日伏見宮邦家親王の第9王子が最初に台湾に入った際、1か月でマラリアにかかって亡くなったとされていた歴史を、ガイドの女性は、「殺されたけど伏せられたというのが本当の話」と話され・・・、調べてみたいと思いました。6番目は北白川妃殿下の写真ですが、100年前に白いドレスでデザインも素敵。後ろには原住民の方々がいますが、韓国同様定期的に招き入れ、様々な要望等をきちんと聞いていたとのことです。今の台湾の人々と比べて、まだ貧しさが残っています。韓国も、台湾も日本が併合することで、飛躍的に近代化へ進んだことが分かりました。貴重な体験をさせて頂きました。外務省の皆様、ありがとうございました。


◆台湾研修2日目その4◆
基隆市へ訪問。張通榮市長へ日本に一番近い台湾の都市へ今後の全国での渡航者数400万人をめざした観光施策等について話し合いました。財務部長翁さんや総務部長蘇さん工務部長李さんと懇談をしました。参加者のJCシニアが集まり張さんを激励!友好姉妹都市は、現在宮古島市や中能登町ですが、横浜市等拡大を模索中とのことです。是非、ご興味のある方は、港の見える街基隆市にお足をお運びください!
狛江市においても、海外との姉妹都市の模索は、きっと新しい発見に満ち、有事の際の助け合いや教育面、観光面においても重要ではないかと思いました。
提言したいと思います!


~狛江の新しい力!~
狛江市議会議員
無所属
辻村ともこ拝(^_^)/~

 

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◆台湾研修1日目その2◆

蔡焜燦(さいこんさん)先生にお会いしました。
司馬遼太郎の紀行文集『街道をゆく-台湾紀行』では案内役として老台北(ラオ・タイペイ)の愛称で登場しますが、今回は台湾で短歌を通じた日本文化を紹介し続け、対日理解の促進に寄与したとして春の叙勲で旭日双光章を受賞された方です。

日本統治時代1927年台中市生まれで、志願して岐阜陸軍航空整備学校奈良教育隊に入隊され、今でもご自身を「親日家を超え、愛日家だと思っていたが、最近では懐日家。日本を愛し、懐かしく思う多くの台湾人の内の一人だ」とおっしゃられました。

「日本人は、アジアの憧れだった。その誇りを絶対に忘れるな」という激励の言葉を頂きました。

日本は、台湾と正式な国交を断絶して何年になるでしょうか。

東日本大震災では、世界中のどの国よりも早く200億円という巨額な義捐金を持ってきてくれ、レスキュー隊も一番乗りに来てくれました。

それなのに、「遅れてきた中国軍を待ってからでないと受け取れないし、レスキュー隊も入る事が出来ない」

と日本政府は、台湾を待たせました。

そして、中国が来て、その後初めて、台湾を入れました。

その中国は、今日本に何をしているのでしょうか。

大変感動した懇親会でしたが、多くの事を考えさせられる時間でもありました。

私辻村ともこは、愛台家です!日台友好万歳!

追伸
体調不良の中、私達の為に30分もお話して下さり、さらに再度戻ってこられ、「パイナップルケーキを全員に用意したから」とだけ言いに帰って来られ・・・ご自身の体調より、私達の来訪を気遣われるそのお姿に、会場中の誰もが涙がにじむ思いでした。
祖父の持っていた温かく強い人間性と同じものを感じました・・・。


~狛江の新しい力!~
狛江市議会議員
無所属
辻村ともこ

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◆台湾研修1日目◆
まず明石元次郎第7代総督の墓参に参りました。
ご存知ですか?この明石総督が当時の日本の国家予算1%を軍資金にロシア革命を支援するロビー活動をし、日露戦争勝利へと導いた事を。

そして台湾統治とインフラ整備等発展に尽力し、「台湾の土になる」と言い台湾にお墓を持ちました。その時多くの台湾人が私の土地にお墓を作って下さいと手を挙げたそうです。

そして、皇室に次ぐ程の200㎡という広大な土地に埋葬されましたが、中国国民党蒋介石が台湾に逃れ来た際、そのお墓の鳥居を柱に使い、亡骸の上に党員の住居を置いて住まわせたそうです。(酷い!)

しかし李登輝総督後陳水扁総督時に、全て退去させ、乃木希典将軍のお母さんなど日本人のお墓も別の場所へ移されたとのことです。

今は鳥居だけ残し台湾市内の家族ずれに人気の公園になっています。私は、これほどの人のお墓について、日本のガイドブックにほとんど掲載されていない事に驚きました。

(日本の外務省は、本当にもっとしっかりしてもらわないといけないと思いました!)

本気の政治とは、明石総督のような姿勢が必要だと、生き方として大変感銘を深めました。

— 場所: 大安 森林公園


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狛江市議会議員
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